雨上がりの香り

書きたいときに書きたいことを書いてるブログ。

個性的って

 

 

こんにちは。

 

 

1ヶ月ぶりの投稿になります。

ご無沙汰しておりました。

 

 

先日 小学生の息子が

「ママ、個性的って言葉おかしいと思わん?

みんな個性的やのに‥‥」と言ってきた。

 

私「そう言えばそうやなあ、おかしいなあ。

あれちゃう?支配したがってる人らが言葉作ったんちゃう?

『個性があるとは変わった事』と人間に思わせたくて。

同じような人間ばっかり大量生産したくってー」

 

息子「フフ。(華麗にスルーして)普通に見える子でも

しゃべってみたらバチコリ面白かったりするんやでー」

 

新学期が始まって、息子の世界で新たな発見があったみたいだ。

その後の会話は忘れました。スミマセン。

 

息子のおかげでハッとしたのですが

私を含め、みんな一人一人が個性的だったんだ。

考え方や性格、性質が同じ人はいない。誰一人として。

仮にいたとしても経験が違うから同じにはならないと思う。

 

私は本物の方を見つけ出して

考え方等を合わせていたフシがあった。

食習慣にせよ何にせよ。

その内容は決しておかしなものではなかったし

むしろ共感し、なによりしっくりきていた。

今でも学ばせていただいており

もちろん有り難く思っている。

 

けれど、その憧れの方の考え方に

自分をずっと沿わせ続けていると

何やら「無理してる自分」を感じるようになってきてしまった。

私は気まぐれだし人間も出来ていないので

当然っちゃあ当然なのですが。

 

今思うと

「あの人がやってるから私もそうしよう」

といった他人軸的な思考になっていたのかもしれない。

真似していたというか。

本当は、

「自分がそう思うから そうする」、

「自分がそう感じるから そうする」

という感じが自然だろうに。

 

 

教わった事を糧にして、

こっちはこっちで

自分でやっていくのが本当なのでは??

 

 

この事に気づいてから楽になった。軽くなった。

こうしたかったんだ私は。

普通こんな事はすぐに気づきそうなものだけど

私は恥ずかしいくらい鈍感で、とても時間が掛かった。

誰も私を縛っていないのだから

私は私の心地いいペースで精進していけばいいんだ。

私を縛っていたのは私の依存心だった。

ヨチヨチでもいいから出来るだけ自分で立って

ボチボチ歩いて行けばいい。

 

 

 

 

 

 

ふう。

 

 

 

 

 

 

「個性的」って話から「自立」みたいな話に

いつのまにかスライドしたけれど

私的には この2つがすごく関連していて。

 

言葉とか文章って、楽しくて大好きで愛おしいんだけど

まどろっこしい。

テレパシーが使えたら一髪で通じるのにな〜

それに、気をつけていないと文のミラクルが起きて

全然違う意味にもなってしまう時がある。

でもそこがまたおもしろい所か。

 

 

 

 

読んでくださって、ありがとうございます。