雨上がりの香り

書きたいときに書きたいことを書いてるブログ。

オバケをみた時の話

 

私のブログを見てくださって

ありがとうございます。

 

 

あえて「オバケ」という言葉を使いました。

他の言葉は文字にすると おどろおどろしいし、

「見えない世界にいる存在をみた時の話」とするのも長いし。

 

 

思春期に一回だけオバケをみた事がある。

当時高校生だった私は、数人の仲間と友達の家に泊まっていました。

こたつで雑魚寝していた私は夜中に目を覚ましてボンヤリしていました。

他のみんなは寝ています。

そしたら部屋の隅におばあさんが座っていました。正座して。

瞬時に「この世のものではない」と分かりました。

 

私は目をパチクリさせて、消えるのを待ちました。

こういう時まばたきをしたり、

「見てやろう」と意気込んでガン見すると消えそうなものですが

いくらまばたきをしてもおばあさんは消えませんでした。

「いる‥‥」不思議とこわくはなかったです。

おばあさんはずっとうつむいてましたが

悲しそうとか、さみしそうとか、怒ってるとかも特に感じることはなく、

ただただ「そこにいる」って感じでした。

 

昔、「あなたの知らない世界」、「2時のワイドショー」という

そっち系のテレビ番組がやっていまして、

私は物心ついた頃から母と2人でよくそれをお昼に観ていました。

再現ドラマ仕立てのそれは、

効果音もあってか「オバケはこわい」というイメージがあったけれども

実際みると、「あ、これは噂の‥‥」って感じでした。

 

1分ほど過ぎたでしょうか、

色んな色の細かい粒子が部屋いっぱいにキラキラ空気中にあるのに気づき、

それを見ていました。

だんだん少なくなっていき、「ああ もう終わるな」と感じ、

全部無くなったと同時にいつもの現実の、なにもない空気に戻りました。

おばあさんも、もういませんでした。

 

以上です。

 

ただそれだけの事なんですが

オバケは本当にいるのだと確信した出来事でした。

そういうのをみるのは後にも先にも それ一回だけです。

 

 

 

 

 

 

(話それます。オバケとは ほとんど関係ないです)

 

ここ2、3年の私は、今までの常識がほとんど崩れ、

「新しい常識」と「古い常識」を入れ替えたり消したりしています。

( 現実との兼ね合いもあって、なかなか うまくもいきませんが。)

なぜそんな事をしているのかというと、

今までは思い込みの世界だったんじゃないかと思ったからなんです。

 

あと、今までの世界は

「違和感を抱きながらも自らイエスと言ってしまっていた世界 」、

「納得していない事を、自分が受け入れてしまっていた世界 」

とも言えるんじゃないかとも感じています。

 

なのでこの先は

違和感を抱いたのなら、立ち止まる、様子を見る、考えてみる、待つのが本当だし、

納得していないのなら、ちゃんとNOと言って断っていく、抵抗して突っぱねていく

という事が大事になってくるのかなと思うのです。

 

そのような事を意識しながら生活してみると、 当てはまる事が多かった。

「今まで洗脳とか支配で成り立ってたようなもんだったんだ、

しかも、うまく仕上がってしまっている」と、残念な合点のいき方でした。

 

 

例えば学校教育。

(感謝すべき点は多々ありますが、今は傍に置いておきます)

本来の私はとてもヤンチャでおてんばなのに、無理やり従順にさせられた感。

「させられた」と人のせいにするのも違う。

「させられた」んじゃなくて、それは正確にいうと、

「抵抗せずに受け入れた」だと思うんです。

従順になる事を、本当は わたし自らが、「合意してしまってた」んです。

みんなと一緒がいいから。「合わせた方が楽」だから。無難だから。

嫌われたくなくて。安心したくて。その場にいたくて。

従ったのはこの私。抵抗しなかったんです。受け入れてしまってたんです。

しかもほとんど無意識で。

( ↑ これって こわいな〜と思う)

そして、そのまま大人になった。洗脳完了です。

 

このような従順人間(そんな言葉はない)の大量生産は、

幼稚園入る前から始まっていると思う。

競走、比較、優劣、従順、我慢、奴隷根性とかを教育という名目で仕込まれる。

そのように人間を育てておくと、何かと都合がいいから。

コントロールしやすいから。支配しやすいから。会社でちゃんと働くから。

 

操り人形よろしく立派な従順人間に仕上がった私は、あやうく幼い我が子達にも

「従順であれ」と伝えるところでした。そうではなく、

「NOと言える人であれ」だった。逆だったんです。

 

「自分で考えれる人であれ」とかもいいと思う。

そのためには普段から

「じゃあ どうしたらいいと思う?」が口癖のママになってる方がいい。

私もなるべく それを言うようにしてるんですけど

前、息子がジュースこぼした時

「こういう時どうしたらいいと思う?」と聞くと

「ママにお願いするぅ」と返ってきた。ズッコケた。

 

とにかく、子供達には「自分で考える癖」を身につけていってほしい。

本当は生きてるだけでも御の字なんだけど、

ついつい欲が出ちゃうのであります。

 

 

 

 

オバケの話に戻りますが、

もし、あの日あの時あの場所で(小田和正!)

あのオバケを見ていなかったら私は、

「見えない世界までも一旦リセット」していたと思う。

だって それすらも洗脳だったかもしれないじゃないですか。

所詮、他者が「見た見た」言ってるだけですもんね。

 

ところが私は見た。この目ではっきり見た。

 

あの頃は視力1、2でバッチリでした。今は老眼入ってるけど。

ところでオバケ見るのに視力っているのかな。

老眼で見るとやっぱり、オバケがボヤけて見えるのだろうか??

とにかく、見えない世界というものはある。

 

 

 

 

 

読んでいただいて、ありがとうございました。