雨上がりの香り

書きたいときに書きたいことを書いてるブログ。

小学校の思い出

 

 

 

思い出でも書いてみようかな。

 

 

私はよく叩かれた。

小さい頃から両親に、兄達に。

平手の時もあれば拳や足の時もあった。

当時は「私が悪い」と思っていた。

私は兄達を不愉快にさせる天才だったし、親の言うこと聞かん子だったから。

それに学習能力が0だった。育てにくかったと思う。

なので あれは虐待じゃなくて「暴力を用いた躾だった」と思う事も出来る。

 

でも ある事がきっかけで『あれは普通じゃなかったんだ 』、

『よく考えると 子供を殴ること自体おかしな話やな 』と思えました。

 

よく「虐待は遺伝する」というけれど、私の場合は逆だった。

そういう親達のおかげなのか、私は我が子たちに手を上げなくて済んだ。

叩いた事すらない。一回も。

自分もそういう「ケ」があるかもと思っていたから

私の代で終わらせたくてしっかりフンドシ締めていたし、

何より殴られる気持ちを知っていた。

「私は最低」と思う。

「◯ぬ」と思う。

しまいには慣れ、「早く終わって」と思う。

いやそんな、こわいこわいの話をしたいのではなくて。

 

 

 

 親には感謝している。

今の自分が幸せであればある程、いろんなものに感謝したくなって母の顔も浮かぶ。

おなかを痛めて産んでくれたし、おいしいご飯も作ってくれた。

父親が頑張って稼いでくれたおかげで私はここまで大きくなった。

愛情を感じる時もあったし毎日欠かさず どつかれていたわけでもない。

 

そんな感じの事を自分に言い聞かせていたら、いつの間にか馴染んだ。

 

こうしてブログに書けるということは、

おおかた私の中で整理がついていると思われ。

いや 自分に嘘をつくな。整理なんかついてないだろう?

だって仕方ないやん聞いても覚えてないって言うた。

理性で片付けさせてほしい。もう前世ってくらい遠い記憶やし。

私かって他者を傷つけた事あるだろうし そんな私が

なんで人のこと言えるん。

テレビで「虐待があ〜」って言ってるから、

何とかさんが指摘してくれたから気づけただけで。

それがなかったらスルーしてたかもだし。

みんな悪くなくって成長の過程って事で。もうその辺が答えでいい。

(なんだか難しいのんチョイスしてもうたなあ キリないよ)

追記   何はともあれお母さん、

私を好き嫌いない子に育ててくれてありがとう。

そこめっちゃ感謝してる。何でもおいしい。(2023.3.14)

 

 

 

 

小学生になり、あれはいつ頃だったか

3、4年生頃ある男子からもよくやられた。

よくある小学生特有の「好きだから」の類いではない。本気。

男子が女子を暴力とか今じゃあ問題だし、

そもそも昔であれど、そういうのはあまりなかったと思う。

けど あったんですよね。そういう事が行われている小学校が。

 

でもね、

 

私もいけなかった。ほとんど受け身だったから。

抵抗した時もあったけど中途半端な抵抗は、逆に相手を燃えさせるみたい。

今考えると、空気なんか読まずに人の目も気にせずに 、もっと爆発的に

教室中の机を放り投げてギャンギャン暴れ倒してやればよかったんだ。

次から相手が私を避けるほどに。「こいつに手を出すと後が面倒だ」と思うほどに。

学校で問題になる、新聞に載る、テレビ局が来るほどに。

その後は知らん。大人があんじょうしてくれるでしょ。こちとら子供なんだから。

 

なのに私はほとんど何もしなかった。

「解決に向けて行動する」なんて発想もなかったし、

「考える」もなかった

「逃げる」もなかった

親にも誰にも相談しなかった。

 

甘んじたんです。

その時はまさか自覚なかったけれど、今考えるとそういう事かと。

 

つまり私は無意識に、殴られる事を「受け入れてしまっていた」んです。

 

「殴られていた」じゃなくて、「逃げずに合意してしまっていた」なんです。

 

「殴られていた」じゃなくて、「自分をおとしめていた」なんです。

 

この耐える行為、我慢する行為は、美徳でも何でもない。

自分は殴られてもいい存在なんだと認めるようなもんだったんだ。

 

無自覚で、しかも自分なりに頑張っていた幼い頃の自分に対して

本気でそこまで厳しく言っているわけではない。

ただ、とても大事な事のような気がする。

その時は、何が何やら分からなくても、

こうして振り返ってみると、少し見えてきたりする。

 

要するに、最初の一発目の時に、いや、その前のジャブが入ったあの時こそ、

「私に手を出すとは何事ぞ!」と奮起するところだったんだ。

私様は殴られるような人間ではない!という気概がなかった。

おそらく、自己肯定感ってやつが低かったんだと思う。

 

もちろん殴る奴が100%悪い。

でもその前に、それを呼び寄せた私がいて。

ちょっと待って、もしかして あの男子って

私に大事なこと気づかせてくれたってこと?

 何この展開‥‥

う〜ん ここで感謝できるほど私 優等生じゃないわー。

感謝するならあの頃の私にしとく。

「経験しておいてくれてありがとうな。

おかげで拒否する事や自己肯定感の事に気づけたよ」

 

 

ちょっとカウンセリングみたい。セルフの。

 

 

気づいただけでも上出来か。

 

 

ひと段落したことだし、話を先に進めます。

 

 

ある夏休み、急に父が「お前に大事な話がある」と。

私は、離婚か!?と思ったけれど、そうではなくて引越し(転校)だった。

「立ち退きと言ってな、ここは開発されて行くから住めなくなった。

この夏休み中に引越すから もう学校には行けないぞ」

 

 

「やったー!!!」

 

 

私は心の中で叫んだ。友達のことは頭になかった。

あの時の心情はすごくよく覚えている。思い出しても嬉しくなる。

「転校だ!アイツから逃げれる!しかも ちゃんとした理由で!

ってことは転校生!?一回なってみたかったんだよね〜

でもこういう時は悲しんでるフリしとこ。」という感じ。笑

 

この時にはもう高学年だった私は、多少の知恵もついていて

次の学校で生まれ変わろうと思いました。というか、

「誰も私の事を知らない学校に行くという事は、

私はどんなキャラにもなれるという事か」みたいな意味のことを思った。

とはいうものの、新しい学校で自分を偽るという事も特に無く、

別に普通に過ごした。

 

新しい小学校は全体的に明るくて軽い印象で、驚く事がたくさんあった。

まず いきなりテストがあって、レベルの高さに驚く。

「こんな漢字習ってない」ってのが いくつもあった。

 

そして 生徒同士が「さん付け」で呼び合っていた。あだ名とか。

前の小学校は女子同士でも、みょう字を呼び捨てで呼ぶのが普通だった。

「山田ァ」とか「松本ォ」とか。みんながみんなです。女子の親友同士でも。

たんま〜に下の名前で呼ばれてる子がいたくらいで。

私はそれが当たり前だと思っていたので

新しい学校での「さん付け」や、あだ名がある子の多さに

カルチャーショックを受けました。( 同じ日本でも違うんですね。)

そういうのもあって新しい小学校に、

明るくて軽いイメージを感じたのかもしれません。

 

前の小学校は 今振り返っても、そういう所も独特だった。今でもそうなのかな。

幼馴染がいるのでまた聞いて、付け加えておきますね。覚えていたら。

ちなみに今その町は、少子化ということもあり子供が少ない。

当時は1学年5クラスあったのが、今は1クラスなんですって。

6年間クラス替えもないなんて、窮屈な思いしてる子いるだろうなあ。

それとも逆に気楽なのかな。幼い頃からずっと一緒のメンバーだから、

性格も全部分かってもらえてて??

私はそんなのイヤだわ。

風通しが悪い小部屋みたいで。

 

 

 

 

 

眠くなってきたんでねます

読んでいただいてありがとうございました。

つづきは また書くつもりです

 

 

 

 

 

 

※ 追記

続きはコチラ↓↓↓

midorinokoneko.hatenablog.com